哲学は武器になる①~ソクラテスの無知の知~
哲学は武器になるシリーズ①~無知の知~
哲学は一見すると生活や仕事に役に立たないものと思われがちですが、実は役に立ちます。
哲学という学問自体は深淵で、非常に難解で、なにを学問しているのか分かりにくいですが、哲学者の残した言葉や考え方は非常に示唆に富んでいます。
今回は古代ギリシャの哲学者ソクラテスの~無知の知~について書きます。
無知の知とは
無知の知とは、分かりにくいですが、自分は無知(自分が知らないことは山ほどある)であることを自分で知っている(自覚している)という意味です。知らぬが仏という意味ではないです。
自分はそのことについて知っていると思っても、実はまだまだ知らないことは山ほどあって、それを自覚したほうがよいという教訓のようなものです。
人間は知っていると思うことに対しては、知的好奇心は働かなくなります。何かを知りたいときは、知らないからです。つまり、知っていると思うと知的好奇心は働かず、学びは減るということです。
知っていると思っていることでも、そのことについて調べたり本を読んでみると、知らないことが山ほどあることが分かります。また、知っていると思うと、そのことに対する他人の意見や考え方が入ってこなくなります。
ソクラテスは知性を高めたいとか、賢くなりたいから無知の知を自覚したわけではないと言われています。有名なエピソードとして政治家が「正義のために〇〇しよう!」などと雄弁に語るのを聞き、本当の正義の意味を分かっているのだろうかと疑問に感じたソクラテスは、
ソクラテス「正義とはなんですか!?」
政治家「それは正しい道理です。」
ソクラテス「では正しい道理とはなんですか!?」
政治家「それは人として行うべき正しい道です。」
ソクラテス「では正しい道とはなんですか!?」
政治家「それは・・・・・。」
などと、問答をふっかけて問い詰めいていくと、結局は正義とは何か?という本質的なことを誰も答えることが出来ず、結局は誰も本当のこと(真理)を分かっていない。真理を追求するためには、まず自分が知らないと自覚することから始めよう!これが無知の知だと言われています。
(個人的には正義とは、弱者を救う・公正に接するなどと、具体的な行動を説明することは出来ますが、「正義自体は何か」を言語化するのは非常に難解だと思います。しかし、これが真理を追求というものなんですね。)
無知の知を使ってみよう
自分にはまだまだ知らないことが山ほどある、知っていると思っていることでも、まだまだ知らないことが沢山あると自覚していれば学びは非常に増えます。自覚しなくても、実際にこれは事実で、生きているうちに知ることができることは、世界のほんの一部です。
ソクラテスのように、真理を追求したいと言う人はあまりいないと思いますので、もっと実用的に「無知の知」を使うのであれば、知性を高めたい、賢くなりたい、もっと詳しくなりたいという人におすすめです。
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