構造主義とはなにか?

構造主義とは

哲学史を勉強していると必ず出てくる構造主義ですが、いつも意味がよく分かりませんでした。私個人の意見ですが、古代➝中世➝近代➝現代と時代が進むにつれて、その時代の哲学は難解になっていきます。(カントのような哲学者は例外ですが)

これは、考えてみれば当たり前のことかもしれません。哲学というものは、それまでの哲学を疑って批判し、それを乗り越えようとする知の営みだから、こういうことが起こるんですね。

構造主義とは

さて、本題の構造主義とはですが、ざっくり言うと「人間はどのようにものを考えるのか」を問にしています。そしてその考え方は、その時代や所属している社会、地域、集団などによって変化するという考え方です。

つまり、人間は自由にものごとを捉えて考えることができていると思われていますが、先述した条件(時代や所属する社会など)によって、実は偏った考え方をしているということになります。

そして、このこと自体にも気づいていません。

自分が、自由に発想したり、自律的に行動できていると感じていても、実は限定的なんだということです。

自分は「まとも」であると思っていても。それはある限られた条件下での話ということになります。

まともってなに?

そもそも、まともってなに?と考えてみると、いかにそれを定義するのが難しいのが分かります。

法律に従ってなのか、常識と考えられていることに従ってなのか、とある集団のなかのマナーに従ってなのか、風土風習に従ってなのか・・・?などなど、きりがないですね。

ここで注目したいのは、まともは規範や基準などに照らし合わせて考えられるということです。

たとえば、法律が全く異なれば、それを基準に考えるまともは異なってきます。つまり社会が異なれば、法律も異なりますので、その社会でのまともも異なるということになります。

社会が異なれば、法律も言語も、文化も風土風習も異なります。よってそのような条件下で人間は考えて行動する訳ですので、「人間はどのようにものを考えるのか」も異なってきます。

要するこれが構造主義の考え方となります。

 

というざっくりした理解ですが、多分構造主義とはこういうことなんだと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

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